HISTORY

丹波焼と郷の歴史を知る

八百五十年以上続く、
丹波焼の歴史を未来へ

平安時代から、
時を超えて今も続く丹波焼

縄文時代から日本古来の技術を継承し、日本生まれ日本育ちの生粋のやきものであるとされる日本六古窯。瀬戸焼、信楽焼などと共にそのひとつに数えられる丹波焼は、兵庫県丹波篠山市の立杭(たちくい)地方、山深い自然豊かな地で八百五十年以上続いています。

その発祥は平安時代末期から鎌倉時代初期にさかのぼります。山腹に溝を掘り込み、天井をつけた「穴窯(あながま)」を用いて、甕(かめ)や壺、すり鉢など生活用器をつくっていました。
江戸時代初期に入ると、土地の傾斜を利用した、朝鮮式半地上の「登り窯」が導入され、同時期に伝わった蹴りロクロが普及したこともあり、短時間で多くの器を焼成できるようになりました。
立杭地区には明治28年から120年以上もの時を超え、今も使用されている日本最古の登窯が現存し、兵庫県の有形民俗文化財に指定されています。

寛容さと柔軟さが生む、
多様な丹波焼

丹波焼の特徴として自然釉(しぜんゆう)があります。高温の窯の中で長時間焼くことで、燃えた薪(たきぎ)の灰が器に付着。その灰が降り積もり、溶けたり流れたりすることで、土の成分と混ざり緑色や鳶色(とびいろ)に自然発色することで、これが穴窯時代の丹波焼の特徴と言われています。
江戸時代に入り丹波焼は大きな変革期を迎えます。登り窯の導入や釉薬(ゆうやく、泥状のもので器の表面をコーティングするもの)を掛け合わせることで、白や黒、赤土部などの色合いや、多彩な模様が生まれました。その後も近隣する伝統工芸の技法を取り入れるなど、伝統を守りながらも変化を受け入れ、多様な丹波焼が生まれていきます。

また、常に時代が必要とする生活雑器をつくり、明治時代には酒や醤油の一升徳利、昭和初期には植木鉢。戦時中には硫酸ビン、戦後は不足していた日用雑器と常に暮らしに寄り添い続けます。様々な技術を取り入れる柔軟さと、時代の流れを受け止める寛容さで、丹波焼は八百五十年以上の時をつなぎ、今も広がりをみせています。

次世代も魅力を感じ、
広がる丹波焼

現在、丹波焼の郷には約六十の窯元があります。そのほとんどが2キロ圏内に密集しており、一度に複数の窯元を見てまわることができます。
親子二代、三代に渡って営んでいる窯元も多く、丹波焼の郷では二十代、三十代の若い陶工の姿もよく見かけます。その多くが一度は丹波を離れ戻ってきています。伝統工芸の産地では後継者不足に悩む地域も多い中、次に続く世代、しかもその多くが血縁者であることは稀有なことです。

その背景には、親子でも作風を尊重し合う丹波焼ならではの風潮、作陶から販売までを自らで行ってきた歴史的背景など様々な要因があります。窯元同士のコミュニケーションも盛んなうえ、世代を超えて、丹波焼や郷の未来について考える姿には伝統産業以外の分野にも通ずるヒントがあります。また窯元それぞれがもつ世界観、多様な美が育まれる本質なども丹波焼、丹波焼の郷の魅力となっています。

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